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越智クリニック
 
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2008/5/30

看護婦の歴史


明治時代のハイカラな医療の七ツ道具は、と言えば聴診器と体温計と注射器であった。いずれも当時はピッカピッカの最新計器でこれらを医者が得意顔で持ち歩いていたのが往診鞄である。さて今回は医者のパートナーである看護婦にスポットを当ててみよう。日本で近代的な職業教育を受けた看護婦が現れたのは1889年(明治22年)である。彼女達はふだん看護婦会に居て、病人の依頼によって出て行く「派出看護婦」であり、明治、大正、そして昭和初期を通して日本の医療の裾野を支えたのである。明治後期になると大きな病院では病院付き看護婦を雇うようになった。彼女達は数少ない女性の自立した職業として世間に認知された。さて久米正雄の小説「月よりの使者」が昭和9年に映画化され爆発的な人気となった。結核療養所を舞台に重症の患者が美しい看護婦に失恋し自殺するというストーリーのこの映画は多くの人々の感涙をさそい、看護婦が「白衣の天使」と呼ばれるようになるきっかけをつくりました。
世にさまざまの色があふれる昨今ですが、私はやはり看護婦は「白衣」が似合うと思います。皆さんはいかがですか?

— posted by 越智邦明 at 06:35 pm  

2008/5/27

パピルス


西洋による医学の歴史をさかのぼると医学の父「ヒポクラテス」の時代よりさらに2000年前までさかのぼる。長く巻かれたパピルスに書かれた世界最古の医学書は「エドウィン・スミス・パピルス」。著者は史上初のピラミッドを建設したイムホテプである。
その古文書の中からいくつか紹介しよう。外傷を負った場合は「初日は新鮮な肉で覆い、それ以降は毎日油か蜂蜜に浸した包帯を用いる。重症の場合は包帯をせずに油に浸して冷やしながら乾燥させる」とある。他に呪術的な治療も施された。そのほか神聖なる池での沐浴やマッサージ、芳香療法も治療に加えられていた。現代医療の原型がエジプトの遺跡には数多く見られるのである。
こう考えてみると、太古から人間は「病」をなんとか正常に戻そうと努力してきたのである。我々は現代に生まれて最高の医療に接する幸せに感謝せねばならない。

— posted by 越智邦明 at 12:15 pm  

2008/5/26

ランボー


24日(土)、久しぶりに映画に出かけた。
お目当ては「ランボー 最後の戦場」。
シルベスター・スタローンは好きな俳優で「ランボー」「ランボー怒りの脱出」「ランボー怒りのアフガン」と3作を見続けてあれから20年。2006年の「ロッキー・ザ・ファイナル」も良かったがやはりバトルシーンが似合うスタローン。
今回の舞台は軍事政権の暴挙の代表ミャンマー。ボランティア活動が目的の女性・サラをはじめとするキリスト教団体を目的地に送り届けた数日後、サラが軍に拉致されてしまう。知らせを聞いたランボーが5人の傭兵達と救出に向かう。手製のナイフと弓矢を持ったランボー。次々と敵をやっつけるランボーのバトルシーンに1週間のストレスがすっかり発散されました。
スタローンよ、永遠に!

— posted by 越智邦明 at 07:49 am  

2008/5/22

保険医の歴史


日本では病気と言えば「保険証」。これ1枚で全国どこに行っても同じ金額で治療を受けられる。いわゆる世界に冠たる「国民皆保険」である。
日本で国民健康保険が実施されたのは1938年(昭和13年)である。その前はと言うと、福岡県宗像郡に同様の医療互助制度があった。それは「定礼」(じょうれい)といわれる制度であった。村ごとに村民たちが互いに貧富に応じて米を出し合い、それを医師に対する謝礼に充てた。この米を「定礼米」といい、医者のことを「定礼医」と呼んだ。
1877年(明治10年)定礼医の高村登四郎は馬に乗って、2代目直嗣はロバに乗って往診を行った。今、高村家の屋敷跡には直嗣を顕彰する碑が建っている。そこには「先生の患者に対する態度は実に親切丁寧を極め、即ち昼夜遠近を問わず、風雨寒暑を厭わず、一切を投げうって患者のために尽くされた」とある。
こんな赤ひげ先生を私も見習いたいと思う。

— posted by 越智邦明 at 12:20 pm  

2008/5/20

歯科検診


日本人はフッ素歯みがきのおかげもあって、歯の衛生状態は国際的に上位ですがOECD諸国の中で2番目に悪いのはなんとオーストラリアなのです。オーストラリアは小学生については各州の責任で校内検診を行う体制が整えられていますが、12才以上向けの検診はなかった。
特に近年、経済的な理由で歯科開業医を受診できず、公立機関に治療を申し込むものの長期間待たされる多くの患者の存在が社会問題となった。そこで労働党政権が12才~17才までの約100万人に対し2億9000万豪ドルを投じ、歯科検診に公費助成する政策を打ち出した。「歯」はどの国にとっても重要な問題となってきています。「歯」を大事にして下さい。

— posted by 越智邦明 at 06:39 pm  

2008/5/19

食の安全


「船場吉兆」の問題を考えてみたい。
この「残飯使い回し」は客を客とも思わない外食作業のモラルの低さを浮き彫りにした。
我々医療人は例えば外科手術に入るとき、手指の消毒を2回徹底的に行う。患者さんへ一匹の菌でも侵入させてはならないという当然の理屈である。消費者問題を研究している専門家は口を揃えて次のように言う。生ビールと称して発泡酒を出す、天然ウナギと称して養殖物を出す、食べ残しのチャーハンは鍋に集めて炒め直す、からおけスナックのつまみは何度も出し直す、等々あきれるほどである。現在の所、こういう悪業を取り締まる法律がないと言う。それは前例がなかったからだろう。
ここは法改正してでも、国民の食の安全を早急に確保すべきだと思う。

— posted by 越智邦明 at 07:49 am  

2008/5/16

禁煙のすすめ


喫煙は癌や循環器疾患の重大な背景因子であるが、今日は歯周病について語りたい。
喫煙が糖尿病と並んで歯周病のリスクファクターであることが最近の研究でわかってきた。
日本歯科医師会が1989年に8020運動(80才で20歯を口腔内に残そう)を提唱して20年経った現在では、80才で20歯を持っている方が20%を超えている。この%を増やすための努力として歯周病を進行させないことが肝要であるが、それにはまず禁煙である。すでに欧米諸国ではかなり前からタバコの外箱に歯周病の写真を印刷して、喫煙は口腔疾患の原因になるとの警告を行っている。
どうかみなさん年を経って入れ歯にならないように若いうちから努力して下さい。
インプラントは高くつきますよ。

— posted by 越智邦明 at 05:17 pm  

2008/5/12

イチゴ


病院の屋上にイチゴが赤い実をつけました。ナース水本のおかげです。嬉しいものです。
さてイチゴの生食消費量は日本が世界1位です。日本にイチゴが伝わったのは江戸末期。オランダ人によって持ち込まれたのが始まりです。本格的な栽培が始まったのは第2次大戦後。昭和25年にアメリカから「ダナー」という品種のイチゴが入ってきてからである。
さて日本の中で最もイチゴを食べているのは、さいたま市。2位は宇都宮市。埼玉県は水田の裏作としてダナー種をいち早く導入し、味の良さや東京市場に近い好条件もあって現在の地位にあります。「とちおとめ」や「女峰」を中心に出荷しています。さいたま市はイチゴのほかにケーキの消費量も全国トップ。ケーキにイチゴは欠かせないからか・・・。

— posted by 越智邦明 at 11:32 am  

2008/5/8

ODA(政府開発援助)


今でこそ日本は発展途上国に多額の援助を行っているが第2次世界大戦後の日本の復興は世界各国からのODAに負うところが大だったのをみなさん知っていますか。
その中にはメキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペルーといった今日、発展途上国とされる国々も多く含まれていた。
今では知る人も皆無に近いが東海道新幹線、東名高速道路、更には黒四ダムも実はみんなODAによって建設されたものだったのです。
今、「ODAを削減しろ」という声が国の財政難の折、叫ばれることが多いですが、昔の日本の受けた恩義を決して忘れてはならないと思います。

明日は我が身なのですから。

— posted by 越智邦明 at 07:42 am  

2008/5/1

コカ・コーラ


皆さんはアメリカ原産の国民的清涼飲料水であるコカ・コーラのルーツを知っていますか?
その前にペルーの国旗について触れたい。ペルーの国旗の中央の紋章は、左にラマ、右にコカノキとそれぞれペルー特産の動植物が描かれ、その下は財宝で豊かな鉱物資源を表している。さてコカノキの葉から抽出したアルカロイドがコカインである。18世紀後半にイタリア人科学者マリアーニが、ヴィン・マリアーニを作った。これはワインにコカの葉からの抽出物を入れた「コカイン入りワイン」で疲労回復、精神の高揚等で人気を博し、ローマ法王はじめヨーロッパで大流行した。1886年、ペンバートンはヴィン・マリアーニを模倣し、コカの葉からのエキスとワインを混合し香料などを添加したリキュールをフレンチ・コカと称して販売した。これを炭酸水で薄めて現在のコカ・コーラが誕生した。
「コーラ」はアフリカ原産の高木でその果実コーラ・ナッツには種子にカフェインが含有されている。であるから初期のコカ・コーラはアルコール、コカインとカフェインの入り混じった中核興奮性の強力な飲み物であった。その後、禁酒法の洗礼を受けコカインとコーラ・ナッツ、アルコールを抜いて現在に至っている。一世紀もの間、販売され続けている不思議な飲み物なのです。

— posted by 越智邦明 at 09:45 am  

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