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2008/6/14

YKK


YKKと言えばファスナーの代名詞である。世界のシェアは45%で2位以下を大きく引き離してダントツ。年間に生産するファスナーの長さは地球と月の3往復分というからすごい。
ファスナーは靴のひもを結ぶのが面倒だということから米国で開発されたが、零細な町工場を世界のトップメーカーに飛躍させたのは富山県魚津市の町工場であり、創業者の吉田忠雄である。1938年に吉田工業所として立ち上げ、1946年商標を「YKK」に改めた。(Yoshida Kogyo Kabushikigaisha)。日本人が世界へ向けて発信するものは実に多いが、YKKも更なる発展を望んでやまない。

— posted by 越智邦明 at 05:05 pm  

2008/6/12

麻雀


先日、3年ぶりに麻雀をした。麻雀は19才からとに角よくやった。学生時代は麻雀に明け暮れたといっても過言ではない。関東だから「4人打ち」。所が松山に帰って、関西の「3人打ち」に面食らった。とに角、テンパイが早い。それに花パイがあって役が高い。それに慣れるのに2年はかかった。薬屋のM君とは開業当初にしこたまやった。別荘でも雀卓を持ち込んでやった。麻雀というゲームは奥が深い。その日の自分のツキを早めに判断し、強気で行くか守りに入るか判断する。先日はツキにツイた。バカ勝ちした。そんなことより、ふだんの仕事を忘れて夢中になれる時間を作ってくれた仲間に感謝したい。
M君これからもよろしく。

— posted by 越智邦明 at 04:25 pm  

2008/6/11

アナログ


この夏からNHKと全民放のTV画面に「アナログ」という字幕が常時入る。番組の内容にかかわらずとにかくTVがついている間は画面右上に「アナログ」の文字が出たままの状態となる。狙いは2011年7月に予定の「アナログ電波停止」という“国策”の認知度アップだ。現在地デジ受信機は全国5000万世帯の28%にあたる1400万世帯に普及しているが3年後にアナログをやめるには残りの3600万世帯にTVを買い替えてもらう必要がある。
その昔、昭和30年後半、TVが白黒からカラー放送に移行し始めたときTV画面右上に「カラー」の文字が表示されて、カラーTVの購入への誘いのプレッシャーをかけた。今回も同じプレッシャーだが違うのは当時は白黒で不便を感じなければ買い替えは不要だったが今回は壊れてもいないTVが映らなくなるのだ。
ガラクタになるその数は最大で6400万台。家電リサイクル法によって1台、2835円の回収費用が徴収されると総額で1814億円にも達します。
皆さん どうしますか?

— posted by 越智邦明 at 10:34 am  

2008/6/5

外科医の不足


巷では産婦人科医、小児科医の不足が叫ばれている。しかし産婦人科医は横ばい、小児科医は微増という中、外科医だけが減っている現実を皆様、御存知でしょうか?日本外科学会もこのままでは10~20年先に日本は「手術」そのものをする人が居ないという深刻な事態になると警告を発しています。私も外科医の1人として不足する理由を考えてみました。やはり外科の労働環境の劣悪さが若いドクターに敬遠され、そこに訴訟リスクも加わって誰も行かないという状況になっていると思います。更に難手術で1日がかりの手術やその後のハードな管理をしても「他科と同じ給料」への不満等もあると思います。ちなみに愛媛大でも外科志望は毎年0~2人といった所です。ブラックジャックに憧れて外科医になった私のように何か若い人を引き付けるきっかけが欲しいものです。
(P.S.本日6月5日でまた1つ齢をとりました。)

— posted by 越智邦明 at 04:38 pm  

2008/6/2

ナス


私の予備校時代、下宿にYAMAGA君という新潟出身の子が居た。彼が「僕はナスが大好きだけど越智君は何ナスが好き?」と聞かれたことがある。当時、何でナスにこだわるのかと思っていたが、最近、全国で最も多くナスを食べているのが新潟市であることを知って驚いた。1世帯あたりのナス消費量が全国平均4927gに対し新潟市は7727g。新潟県は昔からナスの産地で栽培面積も日本一。品種も豊富で「越の丸」の丸ナス、きんちゃく型の「十全なす」、長細い「千両」、先のとがった小型の「鉛筆なす」、大型の「やきなす」など形も大きさもさまざまなものが作られています。本当に所変われば品変わるです。日本は広い!?

— posted by 越智邦明 at 04:07 pm  

2008/6/1

くに~ず新聞


くに~ず新聞Link  2008年 夏号Vol.27 を掲載しました。
 
左のメニューの くに~ず新聞 をクリックするか、ここLink をクリックして御覧ください。

— posted by 越智クリニック at 12:00 am  

2008/5/30

看護婦の歴史


明治時代のハイカラな医療の七ツ道具は、と言えば聴診器と体温計と注射器であった。いずれも当時はピッカピッカの最新計器でこれらを医者が得意顔で持ち歩いていたのが往診鞄である。さて今回は医者のパートナーである看護婦にスポットを当ててみよう。日本で近代的な職業教育を受けた看護婦が現れたのは1889年(明治22年)である。彼女達はふだん看護婦会に居て、病人の依頼によって出て行く「派出看護婦」であり、明治、大正、そして昭和初期を通して日本の医療の裾野を支えたのである。明治後期になると大きな病院では病院付き看護婦を雇うようになった。彼女達は数少ない女性の自立した職業として世間に認知された。さて久米正雄の小説「月よりの使者」が昭和9年に映画化され爆発的な人気となった。結核療養所を舞台に重症の患者が美しい看護婦に失恋し自殺するというストーリーのこの映画は多くの人々の感涙をさそい、看護婦が「白衣の天使」と呼ばれるようになるきっかけをつくりました。
世にさまざまの色があふれる昨今ですが、私はやはり看護婦は「白衣」が似合うと思います。皆さんはいかがですか?

— posted by 越智邦明 at 06:35 pm  

2008/5/27

パピルス


西洋による医学の歴史をさかのぼると医学の父「ヒポクラテス」の時代よりさらに2000年前までさかのぼる。長く巻かれたパピルスに書かれた世界最古の医学書は「エドウィン・スミス・パピルス」。著者は史上初のピラミッドを建設したイムホテプである。
その古文書の中からいくつか紹介しよう。外傷を負った場合は「初日は新鮮な肉で覆い、それ以降は毎日油か蜂蜜に浸した包帯を用いる。重症の場合は包帯をせずに油に浸して冷やしながら乾燥させる」とある。他に呪術的な治療も施された。そのほか神聖なる池での沐浴やマッサージ、芳香療法も治療に加えられていた。現代医療の原型がエジプトの遺跡には数多く見られるのである。
こう考えてみると、太古から人間は「病」をなんとか正常に戻そうと努力してきたのである。我々は現代に生まれて最高の医療に接する幸せに感謝せねばならない。

— posted by 越智邦明 at 12:15 pm  

2008/5/26

ランボー


24日(土)、久しぶりに映画に出かけた。
お目当ては「ランボー 最後の戦場」。
シルベスター・スタローンは好きな俳優で「ランボー」「ランボー怒りの脱出」「ランボー怒りのアフガン」と3作を見続けてあれから20年。2006年の「ロッキー・ザ・ファイナル」も良かったがやはりバトルシーンが似合うスタローン。
今回の舞台は軍事政権の暴挙の代表ミャンマー。ボランティア活動が目的の女性・サラをはじめとするキリスト教団体を目的地に送り届けた数日後、サラが軍に拉致されてしまう。知らせを聞いたランボーが5人の傭兵達と救出に向かう。手製のナイフと弓矢を持ったランボー。次々と敵をやっつけるランボーのバトルシーンに1週間のストレスがすっかり発散されました。
スタローンよ、永遠に!

— posted by 越智邦明 at 07:49 am  

2008/5/22

保険医の歴史


日本では病気と言えば「保険証」。これ1枚で全国どこに行っても同じ金額で治療を受けられる。いわゆる世界に冠たる「国民皆保険」である。
日本で国民健康保険が実施されたのは1938年(昭和13年)である。その前はと言うと、福岡県宗像郡に同様の医療互助制度があった。それは「定礼」(じょうれい)といわれる制度であった。村ごとに村民たちが互いに貧富に応じて米を出し合い、それを医師に対する謝礼に充てた。この米を「定礼米」といい、医者のことを「定礼医」と呼んだ。
1877年(明治10年)定礼医の高村登四郎は馬に乗って、2代目直嗣はロバに乗って往診を行った。今、高村家の屋敷跡には直嗣を顕彰する碑が建っている。そこには「先生の患者に対する態度は実に親切丁寧を極め、即ち昼夜遠近を問わず、風雨寒暑を厭わず、一切を投げうって患者のために尽くされた」とある。
こんな赤ひげ先生を私も見習いたいと思う。

— posted by 越智邦明 at 12:20 pm  

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