本論に入る前に若い読者は知らないと思うので山本五十六について少し書いてみます。
山本は昭和11年に海軍次官に就任。航空機による時代の到来を予期し、大和の建造には反対し日米海戦にも当初、反対していた。真珠湾攻撃を指揮したあとは、短期決着のため航空機に力を入れた。太平洋戦争初期における快進撃により、山本は英雄として扱われた。しかし昭和17年のミッドウェー海戦で大敗北を喫した。昭和18年4月18日、い号作戦に関連して前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空でアメリカ軍に通信文を傍受されたためアメリカ機に襲撃、撃墜されて戦死した。(海軍甲事件)。遺骨は戦艦「武蔵」によって日本本土に運ばれた。なお山本は、歴代の連合艦隊司令長官で唯一の戦死者である。旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高い。敵であったアメリカ側からも山本を賞賛する意見が多い。
さて本題に入ろう。山本の教育者としての側面は現在でも高く評価され、彼の遺訓である「男の修業」は今も自衛隊各教育隊の教育方針として引き継がれている。
今回は山本の名言の中で、私が気に入っているのを2つ御紹介します。1人でも部下がいる方は是非、折にふれて参考にしていただいたら幸いです。
(その1)
やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。
(その2)
苦しいこともあるだろう
言い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっとこらえていくのが男の修業である。
(追伸)
みなさんから「宇和島へ行ったアル君はどうなった?」と心配して下さり、早速娘に写真を送らせました。
ゆうちゃんのとてもいい遊び相手で、下の写真は一生懸命水をやっている姿です。よかったです。