目的は以前より登りたかった宇和島城。私の生まれ故郷、今治の今治城は藤堂高虎が築城したが、愛媛にはもう一つ藤堂が造った名城が宇和島城である。1601年に築城したわけだが、城の外部は上から見ると不等辺5角形をしており随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見受けられた。高虎のあと、伊達政宗の長子、秀宗が入城し「伊達十万石の城下町」と宇和島は呼ばれるぐらい、奥州とのつながりも深い。城は現市街地のほぼ中央に位置し、最上階からは四方が見渡せ、リアス式海岸の海の景色にも感動した。登山に際し家内はボランティアの方が貸してくれた杖が大変役に立ったと言っていた。
さて復習ですが、宇和島には歴史に残る多くの人物が登場します。何度もくに~ず新聞の「日本の唱歌」に登場する大和田建樹(1857~1910)は宇和島市丸之内出身です。「鉄道唱歌」の作詞者としてあまりにも有名です。次に8代藩主、伊達宗城が蘭学者の高野長英を別邸にかくまったこと、司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で宇和島を取り上げていること等、江戸から僻遠の地である宇和島には多数の歴史的ロマンがあります。ゆうちゃんには将来是非、史跡を一つ一つ訪ねて欲しいものです。
下山したあと、伊達博物館を訪れましたが、伊達政宗ゆかりの品々も家宝としてたくさん陳列してあった。歴代藩主の善政によって殖産産業、文化の興隆はめざましく香り高い幾多の文化遺産を見ることが出来た。
さて今回の旅の目的のもうひとつは宇和島に寄港した練習帆船「日本丸」を見ることであった。
白い帆船を広げた姿から「太平洋の白鳥」と呼ばれている。日本丸は全身110m、船底から55mの高さのマストを持つ大型帆船。乗組員171人が乗船し国内外の海上で訓練を重ねている。宇和島には1991年に入港して以来21年ぶりとの事。当日は船内一般無料公開とあって実に多くの人が列をなした。私が行った時は長蛇の列で1時間かかると言われさすがに並ばなかったが、待ち合わせたゆうちゃん家族と写真を撮ったり眺めたりと実に楽しい時間を過ごすことが出来た。やや肌寒い1日であったが充実した1日であった。相変わらずせんべいの大好きなゆうちゃんでした。
それと、1才半から言い続けてきた「くちくー」というナゾの言葉。今回「ゆうちゃん、くちくーとは何の事?」と聞いたら、「こんにゃくの事」とはっきり答えてくれた。やっと解明し胸のつかえがみんなおりました。