まずは正村(まさむら)ゲージを知ってますか?と。「知らんな」と答えると、更に詳しい説明となった。名古屋の遊技場を経営していた正村商会の正村竹一が、1948年にパチンコ台のゲージを構成した。それまでのパチンコ台は入賞口が多くバラ釘のみで構成されていて、玉がバラバラに落ちて面白くなかった。正村は入賞口を減らして釘の並び方に新たな工夫をした台を考案した。現在の天釘、ヨロイ釘、ハカマなどの釘の並び方は全てこの正村ゲージが原型である。
他に「風車」や「チン・ジャラ」を導入したのも正村である。そして正村ゲージは従来より盤面に空間が多いため、玉の突飛な動きが増え大衆人気に火をつけた。それと共に名古屋はパチンコ生産台数の8割を占める一大生産拠点となっていきました。
ここからが運転手さんの力説です。何と正村は、ゲージ構成を特許申請せず、それがために他業種がどんどん真似や改良を加えパチンコは革命的飛躍を遂げたのです。
仮に特許申請をしていたら、天文学的数字の財産を築いたと言われています。しかし、そうなっていたら30兆円産業と言われるパチンコの隆盛は成し得なかったとも言えます。1975年に正村は死去しました。
そうこうしてるうちに自宅に到着し、運ちゃんに「今日はとても面白い話をありがとう」と別れました。尚、この文を書くに当たって、いくつかの文献を参考にしました。
鈴木笑子「天の釘 現代パチンコをつくった男 正村竹一」(晩聲社 2001年)