しかしO先生との付き合いは3年で終わって九大へ帰って行った。しかし3年間に本当に親切な指導をいただき、多くの患者さんを助けてくれた。この縁を切らすまいと、呼吸器で困った症例は電話で相談をしている。やがて先生はお父様の具合が悪くなり九大を辞し、福岡から100kmぐらいの行橋市のS病院へ就職された。今はS病院の院長をされている。院長になっていたのを知らず、気軽に電話をかけていたが、O先生のもうひとつすごいのは、どんな時も電話を待たせないことである。ふつう外来患者で忙しい時は「あとにして下さい」と言われるのだが、O先生は「はい、どうされました」と温和な口調で唯の一回も待たされたことがない。多くの医者と付き合っていたが、本当にすばらしい方である。
さてO先生は2人の息子さんも九大医学部に入り、長男さんは卒業後、研修医をしていて将来は内科医になると言う。
「越智先生からのお葉書に、お孫さんが写っていますがやはり、かわいいものですか?患者さんから孫はかわいいぞ、とよく言われますが」との質問に私は携帯保存のゆうちゃんの写真をいくつか見せた。先生は「すご~い。かわいい。やっぱり長男には早く結婚させて孫をみたいなあ」と話は進んだ。
次に原発、特に玄海原発に話は及んだ。この夏に停止して停電になったら病院は大変です。何とか存続して欲しいと力説された。世論調査では圧倒的に「徐々に」脱原発を、が主流であり菅首相の最後のカードである脱原発解散は支持されないと話し合った。原発事故は依然収束せず、汚染水処理装置は故障を繰り返し放射能と汚染水をまき散らしている。沿岸部は巨大バエが大発生。それなのに無能政権による政治空白が続いている。2人共熱弁をふるい、オークラ特製の生ビールから日本酒、焼酎へとピッチが上がった。更には、現在の研修制度のために大学に人が残らず、過疎地へ大学から医師が送れなくなっている現状には2人共、大いに嘆いた。何とかして元の医局制度を復活させようと話し合った。最後に、博多といえば祭り。ちょうど山笠が終わったばかりで、ホテルロビーに飾ってあったので後で見ませんかと案内された山笠はとてつもなく大きく、九州人の心意気が伝わってきた。O先生の病院の、あるDrは1週間、福岡にホテル住まいで祭りに参加したと言う。O先生とは距離は離れていても、生涯の友としてお付き合いしたいと堅い握手をして別れた。私、緒方はO型なんですよと笑っていたのが印象的であった。