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越智クリニック
 
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2010/6/28

不定愁訴


40才の男性。初診時の主訴は「食事を摂った後に、左肩が不快になる」というものだった。ここから何を考えたらよいか思案した。四十肩?食道癌?「痛くないのですか?」「いや、痛みはありません」「御両親は健在ですか?」「父は胆管癌で、母は大腸癌で亡くなりました」「今までに大きな病気はありませんか?」「13年前、27才のときに糖尿病で入院をさせられましたが3ヵ月の食事療法で良くなりました」「お酒はいかがですか?」「月に1回飲むぐらいです」あとは定番の問診でBMI=26.8%とメタボがあること。タバコは40本/日でヘビーであること。血圧は110/70で問題ないことが分かった。
糖尿病が気になり検査をすると、空腹時血糖が162mg/㎗.HbA1C=7.4%と進行性であった。しかし左肩の説明がつかない。喫煙と癌家系であることから、肺癌特に左肺尖部のPancoast型の腫瘍を考えたが、「糖尿病は心血管系の事故を急増させる」という循環器領域の名言に従い、まず心電図の検査をした。すると1ヶ所、胸部第3誘導がQS patternになっていて、気になった。不安定狭心症~心筋梗塞であろうか?
いぶかる患者を半ば強引に公立病院の循環器科へ紹介した。するとその日のうちに返事があり、「急性心筋梗塞で直ちに入院加療します」とあり、その数日後、「治療に難渋して手術が必要になりそう」と連絡があった。更に後日、「やはり開胸手術になって4枝バイパスという大きな手術になった」と連絡を受けた。
まとめると、患者は肥満、ヘビースモーカー、高脂血症(LDL=190.HDL=46)、糖尿病があり、循環器疾患のリスク因子が重なって心筋梗塞となったと思われる。今回は「胸痛のない」心筋梗塞症例。患者から学ぶことは実に多いものだと改めて身がひきしまる思いである。

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— posted by 越智邦明 at 05:03 pm  

2010/6/24

脳梗塞


入院患者の回診中に、ある女性患者さんのおじさんが脳梗塞で倒れたと聞いた。
詳しく聞いてみると、不整脈を注意されていたが放置していた。ある日、突然、左下肢が動かなくなり、そのまま2日間ベットでうなっていた所を親戚の人に発見され、救急車で公立病院へ搬送された。それから3日後、家人を集めて主治医から説明があった。
まず不整脈は心房細動で、血を固まらせないようにするワーファリンの内服を勧められたが無視していたこと、発症から48hr以上経っていて血栓を溶かすことが不可能な事、リハビリしか手はないので転院して欲しい事、と告げられ家人は言葉を失った。更には、まひのため右下に寝ていて右半身に低温やけどを起こし、この処置も必要となった。言語中枢がやられたため発語もままならず、又、よだれが常時出るためティッシュが欠かせない。嚥下機能も障害されているので鼻から管を通して栄養を注入するしかないとも言われた。
どうか脳卒中や心筋梗塞などの予防医学に関心を持って不幸な転帰とならないように注意を払って下さい。

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— posted by 越智邦明 at 04:40 pm  

2010/6/21

鈍感力


開業医として23年も生きていると、さまざまなアカがたまってくる。大きくストレスと言ってもさまざまなものがある。外来患者をさばくこと、入院患者のケアをすること、はもちろんであるが、患者さんの性格もさまざまであり、各々への対応でも頭を悩ます。私自身も男性更年期ではないかと考え込む瞬間が増えてきた。そんな時に、仲の良い開業医のI君が「越智君のように仕事をしているとパンクするよ。患者、職員、家族・・・きりがないよ。渡辺淳一の「鈍感力」(集英社文庫)を読んでみたら」と勧めてくれた。早速、買って読んでみた。
結論を言うと、長い人生の途中、苦しいことや辛いこと、さらには失敗することなどいろいろある。そういう気が落ち込むときに、そのまま崩れずまた立ち上がって前に向かって明るく進んでいく。そういう、したたかな力を「鈍感力」といっているのである。子育て論では、子供がなにかいいことをしたときにすぐに「お母さん、あれには感心したよ」「よく頑張ったね。素晴らしかった」とたたえてやる。子供は単純な生き物だから、ほめられることで嬉しくなり、自信がつき、鈍感力を身につける。そして成長して社会に出たら、ミスを犯して叱られたとき、くよくよせず新しく前に向かって進んでゆく。このとき大切なことは失敗したりミスしたことは極力忘れるようにする。代りに上司からほめられたりしたら、そのことを頭に貯え、その時々に思い出すようにする。このいい意味での楽天主義が自分の心を前向きにし、したたかな鈍感力を培うと氏は説いている。
第2章に健康論を述べている。健康であるために最も大切なことは、いつも全身の血管がさらさらと流れることです。この血管をコントロールしているのが自律神経です。この神経を変に刺激せず、いつもリラックスさせておくことが肝心です。人生ではあまりくよくよせず、、他人に嫌なことを言われてもすぐ忘れる。このいい意味での鈍さが精神の安定と心地よさにつながり、ひいてはそれが血の流れをスムースに保つことになる、とあります。自律神経には交感神経と副交感神経がありますが、血管がいつも開いていて血がさらさらと流れるためには副交感神経が支配している状態にすること、逆に言うと、交感神経が働かない状態にしておくことが必要です。それは精神的な緊張、不安、イライラ、不快感、怒り、憎しみなどをすぐに忘れ去ることです。
第17章のしめくくりに氏は次のように述べています。鋭いとかシャープであることだけが才能ではありません。それ以上に些細なことで揺るがない鈍さこそ、生きていくうえでもっとも大切で基本になる才能です。
「鈍感力」-身につけたいものです。

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— posted by 越智邦明 at 04:28 pm  

2010/6/17

102才の別れ


患者のSさん(女性)が、6月11日に逝った。102才であった。
Sさんとは平成9年にお会いして以来、14年のお付き合いであった。102才と言っても二本足でしっかり歩かれ、TVも見るし風呂も1人で入れた。娘さんと同居していて、3年前までは関西の温泉にもよく行っていた。しかし、さすがに病院への通院はしんどそうだったので、3年前からは私が訪問診療を行っていた。高血圧以外さしたる病気もなく、はたして何才まで生きるのか、と楽しみにしていた。往診に行くと、いつもざぶとんに座って私の血圧測定を待ってくれていた。そんなSさんが今年の4月に肺炎を起こした。直ちに私の病院へ一週間の入院となった。そして退院後も私の往診は続いていたのだが、不明熱が出るようになった。吐き気も催すようになったので病院でもう1度胸部レントゲンを撮ると、胸水がわずかに見られた。いやがる本人を説得して公立病院で肺のCTを含め精査をお願いして入院してもらった。1週間後、主治医より、「非常に難しい場所に肺癌があり、しかも副腎転移を起こしている。もう手の処しようがない」と連絡があった。その時点で食が進まないので、中心静脈栄養(IVH)を受けていた。私はとに角、お見舞いに行って本人と話をしてみようと考えた。Sさんは私を見て誰だか最初分からなかった。娘さんが「いつも白衣の先生を見ているので分からないのですよ」と言った後、「越智先生が来てくれたよ」と説明するとやっと分って、笑顔がこぼれた。「Sさん、頑張って長生きしてね」と手を握るとSさんは「いや先生、今度ばかりはダメな気がする。本当に。」と力なく答えた。本人に病名の告知はしてなかったが、虫の知らせであろうか。翌日、娘さんが私の所にやって来て、「どうしても退院したいと本人が訴えます。自分の家で死にたいと言います。先生助けてください」と。
この時点でSさんの性格もよく分っている私は了承した。直ちに在宅酸素の手配を指示し、6月4日から連日の往診が始まった。この日の午後1時、親戚が集まり、私と今後の打ち合わせをした。その場で娘さんから、金庫に母から預っている生前遺書がありますと封印をされた封筒を出された。私がみんなの前で開封し読みあげた。一つ、「延命治療はしないこと」一つ「苦痛を与えないこと」の二点が書かれてあり、最後に「医者の責任は問わない」とあった。日付けは平成9年であった。私と知り合った時に既にSさんは、この日の来ることを予知して、遺書をしたためていたのだ。訴訟社会の今、「医者の責任は問わない」の一言は、私を勇気づけるものとなった。IVHの管理にナースのMさんを充て、朝、夕の点滴管理が始まった。6月7日夕方、娘さんより「息が出来ないと苦しんでいます。すぐ来て下さい」と連絡があり、直ちに駆けつけた。苦痛にゆがんだ顔を見て直ちに鎮静剤を投与した。10分後には楽な呼吸となった。6月8日の夜9時も同じような発作で呼ばれ、同じ処置を行った。在宅では出来る処置は限られるが、精一杯の苦痛を与えない治療を続けた。そして運命の6月11日午後3時45分、静かに息を引きとった。約束通りの治療が出来て、私も娘さんも満足であった。
6月13日、私は葬儀に参列した。娘さんが弔辞の中で、母は日本舞踊を愛していたこと、そして楽天的な性格であり、好きな言葉は「明日がある」だったことを話された。涙ながらに、母から教えられた「明日がある」を糧に元気に生きて行きたいと結ばれた。
色々な事を教えられた、Sさんとの長い付き合いであった。自分がどんな終末期を迎えるのかー神のみぞ知ることだが、深く考えたいと思う。

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— posted by 越智邦明 at 12:48 pm  

2010/6/14

目の充血


患者のBさん。ある夜、頭痛と吐き気に襲われ、救急病院へ飛びこんだ。脳の精密検査が行われたが異常なし。Bさんは前日から目が充血していたが、パソコンで疲れたものとたかをくくっていた。ひと目見た医師が「これは緑内障発作ではないか」と言い、すぐに眼科へ回された。
やはり急激に眼圧が上がった緑内障発作であった。幸い失明を免れたが、発見が遅れたら視力を失っていた可能性が高い。目が充血するタイプで急性閉塞隅角緑内障と呼ばれる緑内障は、眼圧が急激に上昇し、充血と共に激しい頭痛や吐き気があるため脳梗塞と間違えるケースがあります。目の充血はぶどう膜炎と共に緑内障に注意です。早目に眼科を受診して下さい。

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— posted by 越智邦明 at 03:20 pm  

2010/6/10

バイアグラ


東医歯大の私の同僚医師に興味ある症例を聞いた。
午前0時、救急で搬送された56才の男性。心電図にて狭心症と診断し、硝酸薬(血管拡張薬)を注射した所、血圧が過度に降下し意識消失となった。何とか意識は回復したが、原因究明が行われた。何とその夜、男性はバイアグラを午後11時に服用し、性交渉が始まってすぐ胸が激しく痛み冷や汗が出たという。「狭心症」は間違いないのだが、問題はバイアグラを使用したことを医師に告げなかった事です。バイアグラは血管を強力に開く作用があり服用1時間で血中濃度がピークになります。そこへ血管を拡げる硝酸薬が注射されたのですから、血管が一層広がり血圧が異常に下がったのです。
ほかのED治療薬、レビトラ、シアリスも同じ機序で硝酸薬との併用は不可です。これらを使用しているときに救急車で運ばれたときは医師に必ずそのことを伝えて下さい。

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— posted by 越智邦明 at 06:07 pm  

2010/6/8

ジェネリック薬


国の医療費抑制策に伴い、同じ効能でもより安価のジェネリック薬の普及が進んできた。
4月からは医師の許可がなくても薬剤師が、薬の形や数まで変えられるようになった。後発医薬品調剤体制加算が手厚くなって後押ししている。ジェネリック薬はかつて、ゾロ品と呼ばれていた。新薬の特許が切れると、それを真似た薬がゾロゾロ出てきたからです。
さて医師はジェネリック薬にどう向き合っているのでしょうか?私はよく他のDr.とジェネリックの話をしますが、まだまだ多くのDr.が使いたがりません。それは日本のジェネリック薬は先発薬と「同じ効能とはいえない」からです。
実は薬の特許には「物質特許」「製法特許」「製造特許」があります。物質特許が切れても製法特許や製造特許が切れなければ、同じ効能を得るのは難しいのです。実際同じ有効成分のジェネリック薬であっても、溶けるスピードや体への吸収率が違うことがさまざまな研究で明らかにされています。Dr.はこうした疑念に敏感になっていますので、ただ安いからという理由だけでは踏み切れないのです。欧米のジェネリック薬は後発医薬品メーカーの上位数社の製品のことなのです。
患者負担は安く、しかし品質は高く。悩みは続きます。

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— posted by 越智邦明 at 04:46 pm  

2010/6/5

誕生日


今日6月5日は、私の57回目の誕生日。
節目としてお祝いしたい気分になります。患者さんの高齢の方からよく「先生はいくつだい?」と尋ねられ答えると「まだまだ青年じゃ。がんばらにゃあ」と激励を受ける。
現役で何才までやれるかを、いつも誕生日のたびに考える。医師の先輩達は、病気をしていない人は65才ぐらいでもみんな元気で活躍している。
とりあえずの目標を65才に設定して、明日からまた1年がんばろうと思います。

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— posted by 越智邦明 at 01:10 pm  

2010/6/3

四十九日


5月30日、義母の四十九日の法要を行った。
7日を一つの単位として7回お裁きと教えを受ける長い旅。最後にえんま様によって生前の行いを裁かれると昔習いました。この判決が終わって故人の魂は仏様の世界にたどり着きます。
きっと義母は極楽浄土へ往生できたと確信しています。納骨をして24年ぶりに後藤田先生と一緒になれたんだな、と感極まりました。あの世で二人仲良く暮らすことでしょう。「よう来たな」と。
当日は東京の家内の弟夫婦や宇和島の娘夫婦もそろって久しぶりに談笑することが出来ました。
東京の長男は4月より外科医としてハードな毎日を過ごしています。5月になって急患で来た、胃穿孔や壊疽性虫垂炎の手術をさせてもらったと喜んでいました。やはり外科医は手術をやってなんぼ、の世界ですから、執刀医になれるのは大変だけれども生き甲斐になります。30年前の自分とだぶって見えました。それにしても法要の間、何回も彼の携帯が鳴ったのには閉口しました。今の病院が「完全主治医制」とやらで、受持ちの入院患者の指示を主治医である彼に仰ぐため、いちいち連絡があるそうです。なかには「便が出ないのでどうしましょう?」などもあったようで、こんな時ぐらい、他のDr.に頼めないのかなあ、と少しかわいそうになりました。さて長男のつぶやいた一言に大変驚きました。それは、手術前の手洗いは「たわし」で2回洗浄しているのか3回洗浄しているのかと尋ねた所、彼は「もう、たわしは使わなくなったよ。手で洗ってるだけだよ」と。驚く私に追い討ちをかけるように、娘婿が「そうなんですよ、おとうさん。産婦人科の手洗いでも、たわしは使わなくなったんですよ」と。「えっ。」しばらく言葉に詰まった。
こんな風にして医療も進化していくんだな。今まで消毒、消毒ときびしく教えられた外科学は何だったんだろう。「たわしは皮膚を傷つけてかえって有害なんだ」とも長男は言った。「老兵去るべし」という言葉が私の脳裏をかけめぐった。
しかし、その嫌な感覚も孫のゆうちゃんの笑顔で吹き飛んだ。「ゆうちゃん、まだまだじいちゃんは頑張るからね。」

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— posted by 越智邦明 at 08:10 am  

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