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2011/5/23

児玉 清さん逝く


みなさんおなじみの児玉清さんが16日亡くなった。(享年77才)。やはり何といっても昭和50年に始まった「パネルクイズ アタック25」の司会として知らない人は居ない。私も30年前から日よう日の午後は暇な時は決まって「アタック25」と「新婚さん いらっしゃい」を見ることにしていた。アタック25で頭を使い、新婚さんでゲラゲラ笑うバランスが好きであった。
児玉さんは学習院大学では演劇部で、篠沢秀夫さん活動していた。卒業後、東宝のコンテスト「ニューフェイス」に合格し、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」に出演した。一方、TV俳優として「白い巨塔」「HERO」など数々の人気連続ドラマにも出演した。一方、読書家としても知られ、ある時「本って捨てられないんですよね。家は本で占領されている」と話されていた。「アタック25」は一般出場者を気遣う、知的で誠実な司会ぶりがお茶の間の幅広い年齢層で支持された。ひとえに誠実な人柄の賜物だと思う。もう一つ有名なのは趣味の「切り絵」。最後まで病室に道具や材料を持ち込んでいたと言う。
児玉さんが切り絵について2003年12月に出版した本「たったひとつの贈りもの」(下の絵)は、ネット販売のアマゾンで2位となり、売り切れが続出している。
さて本題に入ろう。児玉さんは死因は胃癌であった。今年2月に体調がすぐれず、検査を受けた所、肝機能異常が見つかり更に調べているうちに、胃癌及びその肝転移と分かった。
娘さんが奇しくも2002年36才で胃癌で亡くなっている。私は母校、東医歯大に居た時は胃班(マーゲン斑)に属し、毎日のように胃癌の手術をしていた。今から30年前はエコーやCTもなく、胃癌はとに角、開腹が行われた。今でも思い出す数々の転移例。肝臓や腹膜に多発性転移を見つけた時は、何もせずに閉腹となった。むなしかった。
検診のあまり発達していなかった当時は、胃癌はがん死因の一位であった。
さて児玉さんほどの有名人は社会的地位や責任もあるのに、どうして検診を受けなかったのか、まわりもどうして勧めなかったのか残念でならない。一説によると、児玉さんは極度の医者嫌いだったと伝えられている。王監督のように早期で発見できれば腹腔鏡下での摘出が可能な時代となった。もっと早期なら、内視鏡的切除も可能である。
どうか児玉さんの死を無駄にしないで、皆さん1年に1回は検診を受けていただきたいと痛切に願っております。

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— posted by 越智邦明 at 12:53 pm  

2011/5/19

食べ合わせ


「食べ合わせ」って昔から言われますね。食材は薬と同じで数種類を上手に組み合わせると、その効き目が倍増します。最近の薬で言うと、「降圧剤」と「利尿薬」。それぞれ単独で服用しても大して下がらなかった血圧が、組み合わせるとぐ~んと下がります。最近はこの合剤も登場しています。
さて食べ合わせ研究の第一人者で、栄養学博士の白鳥早奈英氏の論文から引用してみよう。
①メタボ対策・・・牛肉とタマネギ。タマネギの成分に中性脂肪を減らす働きがある。パスタ料理と赤ワイン。赤ワインのポリフェノールが脂肪を燃焼させる。
②糖尿病予防・・・レバーとニンニク。ニンニクに含まれるアリシンが、糖質を燃焼するために不可欠なビタミンB1の吸収を高める。
③がん予防・・・シイタケとブロッコリー。シイタケにはレンチナン、ブロッコリーにはスルフォラファンとそれぞれがん抑制物質が含まれていて相乗効果がある。
④高血圧予防・・・トマトとサトイモ。トマトのルチンが毛細血管を丈夫にし、サトイモのカリウムが余分な塩分を排出する。
⑤肝臓病対策・・・鶏肉とイカ(タコ)。鶏肉に含まれるメチオニンには、肝臓を強くする作用があり、イカやタコに含まれるタウリンにはアルコールの分解を助ける働きがある。
⑥心蔵病予防・・・タマゴとバルサミコ酢。バルサミコ酢のクエン酸がタマゴの悪玉コレステロールを減らし、善玉コレステロールを増やす。
以上、是非試して下さい。なお、逆もあってキュウリとトマトはキュウリの酵素がトマトのビタミンCを破壊するので良くありません。
(追伸)
ユッケの問題は深刻ですが、これは私が以前にブログで警告したように、生の獣肉は食べないことです。これを禁止条項にしていない厚労省が不思議でなりません。急性食中毒のみならず寄生虫の問題もあるからです。15年ぐらい前に愛媛大の寄生虫学の専門医に教えてもらいましたが、唯一、生で食べれるのは馬だけで「馬刺しは越智先生、絶対大丈夫ですよ」と言われてから馬刺しファンです。ただ最近の研究では、外国産馬は避けること、一定時間の冷凍処理はした方が良いそうです。

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— posted by 越智邦明 at 10:36 am  

2011/5/16

窓口負担


昭和36年に国民皆保険ができてから今年で50年になります。この制度は、WHOも「世界で最も効率のいい医療制度」と認めていますが、その実態はボロボロに崩解しつつあります。昭和56年の土光臨調にはじまる行財政改革の流れは、小泉政権になると「病院は今、老人のサロンになっている」「医療のムダは排除せよ」等の世論をかき立てて「自民党をぶっ潰す」とタンカを切って日本を本当にぶっ壊した。社保の本人(サラリーマン等)は、昭和32年から初診時のみ100円となり、その後、200円、600円、800円となり、昭和59年に定額負担から定率1割となりました。今や、国民の大半は窓口3割です。更に小泉政権は、社会保障費を毎年2000億円づつ削減したのです。小泉首相は当時「社会保障費を削るのではない。自然増だけを削る」と答弁し、その後、7年間削減は続き民主党が政権を取って去年、やっと止まりました。また2000年に発足した介護保険制度は「国民を介護地獄から救う」と大見栄を切ったのに、利用料は1割取られるのです。社会の弱者を支援するための社会保障制度は、受益者負担にしてはならず、応能負担であるべきです。
例えば、車の保険や生命保険を見て下さい。保険料は高いが、給付を受けるときは無料か免責1~2万円ですみます。日本の医療保険制度はなぜ高い保険料を支払いながら、給付時には3割もの窓口負担をしなければならないほど劣悪なのか?これでは単なる互助会制度である。先進国ではほとんど窓口負担は無料です。最近の愛媛保険医協会のアンケート調査でも多くの方が、窓口負担金が払えないため治療の中断が見られます。治療を中断することは、病気の悪化、重症化につながり、ひいては医療費の高騰につながるのです。また医療機関も未収金で苦しんでいます。
全国保険医協会では、窓口負担の3割→2割→1割への軽減運動を行っています。どうか皆様、御理解下さい。

2011-05-11


— posted by 越智邦明 at 04:24 pm  

2011/5/12

連休のゆうちゃん


一才半を超えてくると、色々な事が理解できるようになったゆうちゃん。嫌いだったお風呂も私といつまでも笑いながら入るようになりました。「シャボン玉を作ってくれ」と何回もせかされます。夕食は最近、はまっているのがノンアルコールビール。「みんなで乾杯」も覚えて、何回となく乾杯をさせられてグイグイ飲んでいます。
5月4日は前から計画してあった城山公園やすらぎ広場での散歩。オンプ君も生まれて初めての広場に感激です。この公園を造ったのは松山市としては大英断。市中心部に市民の憩いの場を造るというのは、税金の正しい使い方だと感心します。ゆうちゃんも思わずバンザイです。ロープをくいしばるゆうちゃんの後ろから、オンプ君が見ているのが面白いです。
そして5月5日は近くのえひめ乳児園に飾ってある、こいのぼりに感激していました。「こいのぼり」の歌が大好きで、又実際のこいのぼりを宇和島でもとても気に入って、アーアーと指を先して喜んでいるそうです。
また次回を楽しみにして下さい。

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— posted by 越智邦明 at 04:53 pm  

2011/5/9

白衣高血圧は可か?


よく患者さんに尋ねられる質問の1つに「家庭で測る血圧は120~130/70~80ぐらいで正常だが、先生の前で測られると160/90。これって緊張した時だから高血圧にはならないですよね?」と。東北大学薬学部の今井潤教授の回答を引用します。「白衣高血圧は持続性高血圧への進展の大きなリスクがある。また、心血管反応性や変動性を反映していることから、これ自身がリスクになりうる。また代謝系の異常を伴うことも多く、白衣高血圧が無害のものという考えを持つべきではない」と。
最近、ほとんどの方が家庭血圧計をお持ちなので血圧ノートにこまめに記入いただき、医師は厳しくチェックする必要がある。以前にも書いた「早期高血圧」のチェックも必要なので、起床直後と就寝前の血圧の比較も大事である。
因みにJSH2009では、若年者・中年者の家庭血圧の推奨値は125/80未満である。
是非、主治医にこまめに相談下さい。
(追伸)
最近のゆうちゃん。
宇和島市津島町の芝桜に感激しています。きれいですね。芝桜は北米が原産。よく枝分かれし地面を覆い尽くすように密生する。北海道羅臼町の町花です。
動物好きのゆうちゃんはシバヤギも何のその。草をやっている姿は優しいですね。
足湯につかって何を想う?いつも何かを考えているゆうちゃんでした。


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— posted by 越智邦明 at 05:44 pm  

2011/5/6

PTSD


当院に2月26日に初診で来られたF夫婦。話を聞くと16年前、神戸に住んでいたが震災にやられ、家も壊滅。逃げるように大分は別府に移り住んだ。湯治生活に入ったのも、御主人がひどいPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされたからである。やっと16年経って治まってきたため、今度は道後の湯を求めて今年松山の地に引っ越してきた。当院を近くの公園に居た見知らぬ人から紹介されてやってきた仲の良い夫婦である。私はF氏の詳しい経緯を聞き「どうかゆっくり松山で静養して下さい」と慰めた。処方も行った。そしてリハビリにも体をふりしぼって通い始めた。それから翌月。何と3月11日の大地震。忘れかけていたあの記憶、体感がTVを見るたびによみがえって、再びF氏にPTSDが再燃してしまった。私は精神科医ではないが一生懸命、別室で慰めた。「震災は一時的なものであなたの人生への影響は限定的だし、自分が悪いから起きたのではない。この不運は自分を鍛えてくれるいい試練だと思うようにして下さい。」と、楽観的に生きることの大切さを説いた。1カ月半が過ぎて、やっと落ちついてきたF氏。妻のFさんがF氏から預かったと4月23日と5月1日に、色紙を持ってきてくれた。よそ者扱いしなかった私の事を感謝していると言う。今回の大地震で実に多くのF氏が出来てしまった。多くの方の回復を祈ってやまない。

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— posted by 越智邦明 at 02:09 pm  

2011/5/2

懐かしい愛光寮


私が愛光学園に入ったのは昭和41年。14期生である。今治生まれの私は、当時学園に備わっていた愛光寮とトマス寮のうち縁あって愛光寮に入った。当時、学校は今のフジグラン(宮西)にあり、愛光寮は徒歩で15分の朝美町にあった。トマス寮に比べ規模は小さく定員は50人であった。2人部屋で管理も厳しく、夜10時には消灯で電源が切られるため、本当に眠るしかなかった。朝も7時に体操があり、低血圧の私には苦痛の毎日であった。またごはんも少なく、今でも覚えているある日の夕食は素うどん1杯であった。恨みつらみの寮生活であったが、強制された規則正しい生活のおかげで、今の自分があると心より思っている。
さて本題に入ろう。愛光寮の誕生は昭和31年である。その時の寮母さんが佐代子さんであり、今回の主人公である。佐代子さんは12期生までの生徒の面倒を本当の母親のようにみた。当初は独身でスタートしたが、昭和33年に寺尾忠道さんと結婚し、寮監・寮母がそろったのである。しかし悲しいことに昭和39年、36才という若さで肺性心で亡くなられてしまった。先輩の話を総合すると、次のようである。
東京オリンピックで寮内が沸いていた間も、県病院に入院していた佐代子さんの症状は日増しに深刻になっていった。しかし連日のように寮生をひとりふたりずつ、寮監さんの車で枕元に呼び、勉強などへの励ましの言葉を掛けてくれたと言う。彼女は敬虔なクリスチャンであったのだ。彼女の死を知った愛光寮OB、現役生は感謝の気持ちを表すため報恩碑建立を行った。その碑には「一粒の麦、落ちたり」とある。さて忠道寮監は寮母不在のままでは何かと不便で、まして思春期の難しい年頃の少年の身の回りの世話は、男では無理であった。そのことを佐代子さんも病床で心配され、女子商の後輩で愛媛相互銀行に勤めていた英子さんを後添いにするよう、寺尾家の人達に言い残された。英子さんもクリスチャンで、女子商の寮でお世話になった佐代子さんを姉のように慕っていた。
佐代子さんは英子さんの人柄と能力を深く信頼し「この人なら」と後事を託したようです。寮監さんもその意を酌んで、昭和40年6月に英子さんと再婚。寮は英子寮母さんのもとで再スタートを切ったのである。つまり私にとっては母親は英子さんであった。
愛光寮は昭和50年に幕を閉じるまで、計240名の会員を生んだ。もう増えることのない限定会員であるだけに結束も固い。
今年、寮創設満55周年を記に、佐代子さんの報恩碑を愛光学園校内へ移設すると共に、報恩銘板の新設事業が4月24日(日)愛光学園で行われた。除幕式には中村校長やベルモンテ神父も立ち会われ、最後は全員で校歌を斉唱した。私の知らない佐代子寮母さんであるが、その碑の前で歌う校歌に私は胸が熱くなった。
その後、舞台をいよてつ会館に移し、愛光寮会総会が行われた。14期の同期生4人で45年前にタイムスリップした。
Y君は松山市内の交番勤め、D君は長崎の保健所長をやめてフリーに、O君は鍼灸師を目指して勉強中との事。
愛光寮の灯よいつまでも!
(写真、左が佐代子さん。右が英子さん)

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— posted by 越智邦明 at 03:44 pm  

2011/4/28

ゴルフ場


今日は単なるゴルフの話ではない。先日、茨城県北部に住んでいる後輩の医師から聞いた話。震災、放射能事故の後、福島から茨城にかけてのゴルフ場が悲惨な事になっていると言う。このあたりは、私も福島に居た時に数多くプレーしたが、ゆったりとした名門ゴルフ場が多い。しかし彼の通うゴルフ場は、土よう日だと言うのにたった5組だったと言う。例の風評被害で、放射能汚染されたゴルフ場ではしたくない、と大量のキャンセルが出た。
バブル崩壊後、プレー料金の値下げ合戦に巻きこまれて、東北地方はどこも平均プレー代は7000円前後。年間来場数を3万人として、年間売り上げは2億円と言われる。ここから税金、人件費、光熱費、芝代、メンテナンス費で2億円を引くとほとんど手元に残らないギリギリでやっていると言う。調べてみると、福島県中通りのあるゴルフ場は、フェアウェーのいたる所が陥没してゴルフにならないし復旧に数ヵ月、数千万かかるとある。栃木のゴルフ場は地震による地すべりで、カート道路とコース部分の間に3mの段差ができて、その修復に1カ月かかるし余震も収まっていないと言う。
震源地に近い岩手、宮城では壊滅状態に追いこまれた所もあるらしい。ぜいたくなスポーツということでマスコミがほとんど取り上げないが、芝が青々とした絶好のシーズン到来で一番の書き入れ時にクローズにしているゴルフ場関係者の気持ちを思うと残念でならない。
ちなみに、私が福島県で研修していたときに実際に行った、平カントリークラブ(福島県いわき市)、安達太良カントリークラブ(福島県二本松市)に電話をかけてみた。平カントリーは全く応答なく安達太良の方にかけてみると、平カントリーさんはコースそのものの損壊が激しく、クローズになっているとの事。安達太良は無傷だが風評批害でプレー客が激減しているとの事。下の写真は保存してあった当時の平カントリー、安達太良カントリーのパンフレットです。
ちなみに安達太良に行った当時(昭和57年4月11日)のスコアーカードは、59+66=125で回ったことが記されていました。

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— posted by 越智邦明 at 01:11 pm  

2011/4/25

かぜ予防


かぜやインフルエンザの予防には免疫力を上げることが肝心である。
そのためには腸内環境を改善するのが早い。腸内環境を良くすると消化と排泄の機能が良くなり、毒素が体から排泄されやすくなる。結果、免疫力が上がり病気の予防につながる。そのためには腸内の善玉菌を増やすことが一番です。腸の中には100種類100兆個の菌が存在する。大腸菌などの悪玉菌も善玉菌とのバランスが保たれていれば健康上問題ない。しかしストレスや食生活の乱れで一気に悪玉菌がはびこり、腸内環境を乱すと病気になりやすい。善玉菌は腸内に定着しにくく2日で死んでしまうので、定期的に補充する必要があります。
善玉菌の代表はビフィズス菌などの乳酸菌。乳酸菌が糖類を分解して作り出す乳酸が腸内を酸性に保ち、アルカリ性を好む悪玉菌の増殖を抑えます。この乳酸菌は次の代表的な3つの食べ物から摂取できます。それは「ヨーグルト」「漬物(ぬか漬)」「キムチ」です。それと、ただ乳酸菌を摂るだけではダメで、乳酸菌が腸で定着しやすくなるエサと住環境を整えてやることが必要です。
エサはオリゴ糖などの「糖」。住環境は「食物繊維」です。例えばヨーグルトなら糖と食物繊維を多く含むバナナやきな粉をトッピングして下さい。
最後に乳酸菌は37度で活発に働くので、お腹を腹巻で温めたり運動することも大切です。
(追伸)
日経を読んでいて、ふと気になった記事があった。詩人・童話作家の宮沢賢治である。
有名な「雨にも負けず」であるが、彼が生まれた年の1896年には、故郷の岩手に明治三陸大津波が押し寄せ、2万2千人が犠牲になった。亡くなる1938年には、今度は昭和三陸大津波に襲われた。賢治は数々の災害に見舞われながらも屈することなく、黙々と耐える東北の人々に畏敬の念を抱いた。詩集「春と修羅」には「おれはひとりの修羅なのだ」と、どうにもならない現実に対する苦悩や悲しみをたたえた詩が多い。
大震災から1カ月以上が過ぎた。「雨にも負けず」が各地で朗読されていると聞く。平和な西日本の我々も、もう1度朗読してみませんか?賢治のいや東北の人達の声が聞こえてきます。

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— posted by 越智邦明 at 04:45 pm  

2011/4/21

愉快なこども達


去年に続いて職員ナースの子供、ひゅうが君(3月28日生)の3才の誕生日、更に今回は愛莉ちゃん(4月2日生)の2才の誕生日を4月17日、保養所で行った。去年はまだ片言しかしゃべれなかったひゅうが君も、さすがに3才になるとよくしゃべる。じっとしていない。
当日は午前中風が強く満潮のせいもあって、砂浜に打ち寄せる波におびえる愛莉ちゃん。対照的にはしゃぐひゅうが君。保養所に引き上げても走り回るこども達。そしてすっかりおなかがすいて、待ちに待った昼ごはん。ナースのMさん手作りのかわいいランチに2人共大喜び。たらふく食べたあと、サプライズのバースディケーキ。2人の興奮は最高潮に達し、一刻も早く食べたいひゅうが君を押さえつけての記念写真であった。日本の将来は、この小さな子供達に託されている。放射能汚染に、どうかこの子供達がやられないことを祈るばかりである。
また来年も元気な写真を撮りたいと願っている。

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— posted by 越智邦明 at 10:09 am  

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