平安も末期になると中国(唐)の影響一色だった日本文化に「国風文化」が発達した。大和絵が出来たり、紫式部や清少納言などの女性作家も登場した。この人達の嗜好も梅から桜に変わっていったのも一因である。
そして日本人は桜の散り際にも独自の美学を見出した。「散る桜残る桜も散る桜」等は秀句である。太平洋戦争では「同期の桜」(流行歌)が出来、戦へ出かける若者を鼓舞することとなった。
それにしても梅はかわいそうだ。桜は「桜茶」など重宝がられるのに、梅は「梅干」である。せめて若い女性に梅酒(ソーダ割り)人気が出ているのは救いである。
最後に好きな西行法師の句を披露したい。
「願はくは 花のもとにて春死なん その如月(きさらぎ)の望月の頃」。
(追伸)
娘より宇和島の丸山公園での桜写真が届きました。
丸山公園の敷地内には開花宣言の目安となる標準木があります。