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2012/11/5

アッペ


アッペ(Appendix)とは虫垂のことで、虫垂炎で読者の皆さんの中には点滴や手術のお世話になった方も多いと思う。
我が家族では今や外科医となっている長男が小6の春休みに虫垂炎となり私が執刀した。
さてアッペの歴史をひもといてみた。
医学の歴史の中で、アッペが意識されたのはほかの臓器に比べてずっと遅く、1500年頃のレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図譜が最初である。1812年には“パーキンソン病”に名前を残しているジェームズ・パーキンソンが腹膜穿孔の病理報告をしている。だが治療となると、19世紀末までは大量のアヘン投与や制吐剤であった。アッペを切除するには手術操作だけでなく消毒や無菌操作が必要である。つまりそれまでの手術は成功しても術後敗血症で多くが亡くなった。
1887年アメリカでジョージ・モートンが虫垂切除を成功させた。エーテル麻酔を初めて行ったウィリアム・モートンの息子であり自分の兄弟や次男を虫垂炎で失っていた。翌年にはロンドンの外科医、トレヴィス(35才)も成功している。彼も娘を虫垂炎で亡くしていた。
日本では角界の玉の海の師匠の師匠であった玉錦が1938年、九州巡業中にアッペになり開腹術を受けたが腹腔内は膿だらけで抗生物質のない時代でもありなす術がなかったと記録にある。
イギリスで有名なアッペの手術は何といってもエドワード7世。ヴィクトリア女王の後を継いでの載冠式が1902年6月26日に予定されていた。しかしエドワードは記録を読むと6月13日、気分が優れなくなり顔色は蒼白となった。翌14日朝、腹痛と吐き気があった。15日は悪寒と高熱に襲われ18日侍医がアッペを疑い、先程のアッペの大家:トレヴィスを招請した。トレヴィスは盲腸周囲炎と診断したが、21日にはいったん平熱となり腫れが引いた。自然治癒したかに見えたが23日、再び腹痛がひどく終に、トレヴィスはオペをエドワードに進言する。しかしエドワードはどうしても戴冠式に出るのだと言って拒否した。そこでトレヴィスは、すかさず“スペードのエース”を切った。「ならば陛下、陛下は骸(むくろ)になっていくことになります」と。一瞬にして国王は言葉を失い手術に同意した。手術は成功し、その後、エドワード7世は大英帝国最盛期に君臨し“ピースメーカー”と謳われ又、“Uncle of Europe”とも呼ばれた。
トレヴィスは、数々の名誉に包まれ虫垂炎の外科手術もこれを許に広く普及した。もし国王が開腹に同意しなかったり、開腹時に手遅れで不幸な転帰をとったら歴史も変わっていただろう。皆さんは、盲腸の手術は外科医のひよこがやる簡単な手術と思われるかも知れませんが、炎症の程度でさまざまな姿を見せるアッペ。何年外科医をやっても恐いのがアッペで、外科医の世界では「オペはアッペに始まってアッペに終わる」や「たかがアッペ、されどアッペ」と広く伝えられています。ちなみに私が外科医になった昭和50年台はアッペは多く、手術件数も年間50~100例こなしましたが、抗生物質を頻繁に投与される現在、極端に減って年間20例以下と激減しています。しかし皆無ではないので尚、注意が必要な疾患です。

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— posted by 越智邦明 at 05:37 pm  

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