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2011/2/3

負けないで


医療界に居ると、人間がいかにもろいものかを痛感する。病気を前にして、昨日までの自信家がすっかり影を潜める。これは古代から変わらない。そこで、人生の応援歌が脚光を浴びている。数々の歌の中で「負けないで」を取り上げてみたい。御存知の通り、ZARDの最大のヒット曲であるが、ZARDを語る時には当然、ボーカルであり作詞家でもある坂井泉水(さかい いずみ)を語らざるを得ない。
坂井は1989年(22才)、日本エアシステムのキャンペーンガール、1990年(23才)、日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーンであり、当時は雑誌グラビアなどに多く登場していた。1991年(24才)に歌手としてデビュー。
「揺れる想い」等、数々のヒット曲を飛ばしたが、やはり「負けないで」は本当にすばらしい。
さて順調にヒット曲を飛ばしたZARDに運命の転機が訪れる。2006年(39才)、坂井に子宮頸癌が発見される。大学病院で摘出術を受けたが2007年、肺への転移が発見され、抗癌剤治療を受けるはめとなった。ファンはみんなやきもきしていた運命の日、2007年5月26日、入院先の病院から転落して急死。40才。あっけない幕切れにファンはみんな悲しんだ。韓国や台湾など海外メディアでもこのニュースは一斉に報道された。そして、この年の12月31日、NHK紅白歌合戦にて「企画ZARDメモリアル」があり、「揺れる想い」「グロリアス マインド」「負けないで」の三曲が流れたが、これを見た方は大勢居られると思う。
さて、坂井死後3年以上が経ったが、彼女の死をめぐってはさまざまな報道がなされた。しかし私は、こんなことを考える。昨年、私の属する愛媛保険医協会は、松山市議会に「子宮頸癌ワクチン公費助成請願」を提出し、それが可決された。そして2月15日より松山市の若者希望者全員(中1~高1)に公費でワクチンが実施される。これは全国的な流れとなっている。もし坂井があと10年後に生まれていて、ワクチンを受けていて、子宮頸癌になってなかったらと考えていくと、とても残念である。
さて「負けないで」が発売された平成5年は、バブル崩壊による「失われた10年」が始まった年。不況に苦しむ人々の心に、元気を与えてくれる曲として支持された。発売から18年経った今でも、人生の応援歌として歌い継がれている。平成6年春の選抜高校野球の入場行進曲になり、高校の音楽教科書にも載った。この歌はなぜ人々の心を捉えるのか?それは「負けないで」の言葉にある。人は辛い時に「頑張って」と言われると、プレッシャーを感じる。しかし「負けないで」の言葉は、祈りにも似た優しさがある。就活も受験も辛いのは本人で周りは見守るしかない。「どんなに離れていても 心は そばにいるわ」は、まるで母親のような優しさがあり、ここに癒されるのだと思う。日テレの24時間テレビ「愛は地球を救う」のチャリティマラソンで、出場者のゴール直前にこの歌をみんなで大合唱するのが定番となっているが、納得である。
社会を取り巻く環境は厳しいですが、どうか「頑張って」ではなく「負けないで」と励まして下さい。そして落ち込んだときに是非、この曲のCDを聴いてみて下さい。きっと元気が出ます。

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— posted by 越智邦明 at 04:27 pm  

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