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2008/5/30

看護婦の歴史


明治時代のハイカラな医療の七ツ道具は、と言えば聴診器と体温計と注射器であった。いずれも当時はピッカピッカの最新計器でこれらを医者が得意顔で持ち歩いていたのが往診鞄である。さて今回は医者のパートナーである看護婦にスポットを当ててみよう。日本で近代的な職業教育を受けた看護婦が現れたのは1889年(明治22年)である。彼女達はふだん看護婦会に居て、病人の依頼によって出て行く「派出看護婦」であり、明治、大正、そして昭和初期を通して日本の医療の裾野を支えたのである。明治後期になると大きな病院では病院付き看護婦を雇うようになった。彼女達は数少ない女性の自立した職業として世間に認知された。さて久米正雄の小説「月よりの使者」が昭和9年に映画化され爆発的な人気となった。結核療養所を舞台に重症の患者が美しい看護婦に失恋し自殺するというストーリーのこの映画は多くの人々の感涙をさそい、看護婦が「白衣の天使」と呼ばれるようになるきっかけをつくりました。
世にさまざまの色があふれる昨今ですが、私はやはり看護婦は「白衣」が似合うと思います。皆さんはいかがですか?

— posted by 越智邦明 at 06:35 pm  

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