大学に入ってふと買った1枚のレコードから私は虜になった。家庭教師のアルバイト代が入るたびに次々とレコードを買って、ほぼ買い占め状態になった。ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でレコードデビューしたのは1962年10月5日。今年はまさに50周年に当る。日経新聞も1月9日の「文化往来」に取り上げているが、元メンバーの生涯を描いたドキュメンタリー映画が相次いでDVD化され、彼らの素顔に改めて光が当たっている。新聞からいくつか引用してみる。マーティン・スコセッシ監督「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」はジョンレノン、ポールマッカートニーの陰で「第三の男」と言われたジョージハリソンに焦点を絞った3時間半の大作。盟友エリック・クラプトンによる証言が貴重である。1966年にビートルズ来日の時、私は13才であった。愛光中学の1年生であったが正直、覚えていない。当時は媒体もなく知るすべもなかった。寮はTVも禁止であった。4人と対面した音楽評論家、湯川れい子氏は「ジョージは一番年下で、ポールに雑用を言いつけられてもいやな顔一つしない。温厚な性格だった」と振り返る。
ジョンレノンやポールマッカートニーは才能的にも群を抜いているが、私はジョージハリソンの「Here Comes The Sun」が一番好きである。1969年にリリースしたアルバム「アビー・ロード」に収録されているが、この歌を聴くたびに魂が揺さぶられる名曲である。ジョージがエリック・クラプトンの家へ遊びに出掛けた際、その年初めて春らしい日差しを感じていたら自然に歌詞とメロディラインが生まれたと言う。内容は、長かった冬に別れを告げ、春が来たことを歓迎するというものだが、この内容が季節を大事にする日本で大いに受けたそうである。ジョージの傑作は他に「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」がある。一度、You Tubuで聴いてみて下さい。(フォーク・ロック・バラードです。)
最後に私が家内と結婚したきっかけは彼女の発した「ビートルズと麻雀が好きな男(ひと)に悪い人は居ない」であった。