肺炎で外来通院中のYさん(88才)が先週、「ちょっと話を聞いてくれんか」と話しこんだ。
彼は戦争中、戦艦「霧島」の乗務員だった。22才で真珠湾に突入し、見事勝利した話をとうとうと語った。大和の7万トンに比べれば、霧島は3万6千トンと小さいがその分、小回りもきいてすばらしい船だったと自慢した。その後、ソロモンへ出撃し、第1次、第2次ソロモン沖海戦では勝利したものの第3次海戦で撃破され海に放り出された。友軍に助け出され内地へ引き返した時は本当に悔やしかったと言う。霧島に同乗した1300人のうち年に1回の同窓会の出席者も年々減り23人になったと悲しむ。
それだけに「生きている」自分が戦争の生き証人として史実を残さねば、と本を書いているそうです。山本五十六長官からもらった勲章が一番の宝だと彼は見せてくれました。「命を懸けてお国のために戦った我々の気持ちは今の若い人には全く通じないかもしれない。しかし10分の1でも理解してくれたら」と書き続けるYさんには1度、くに~ず新聞に投稿していただこう、と考えています。
「戦争」を風化させないためにも。