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2010/5/13

のん太


今から15年前の話。親父は、私の今治保養所に毎日のように庭のそうじ等々で通っていた。仕事もしてなかった親父にとっては、退屈しのぎの唯一の仕事であった。ある日の夕方、一匹の犬が足を血だらけにして敷地に入ってきた。道路で車にはねられ救いを求めて入ってきたようだった。動物好きの親父は手厚く介抱してやり、くさりにつないで毎日のようにエサをやる生活が始まった。雨の日も風の日も毎日介抱したおかげでその犬は元気になり、やがて保養所の一員となってくさりがなくても逃げなくなった。そんな愛しい犬に親父が名前を付けてやってくれと電話があり、早速、職員はじめ50名の方々からネーミングの応募を行った。結果、一番親父が気に入ったのは患者のTさんがつけてくれた「のん太」であった。雑種ではあったがおとなしい賢い犬だった。それから10年の月日が流れ、親父も老体となり入院をするようになった。短期の時はおふくろがタクシーでエサをやりに行ってやったが、長期になると難しくなった。家族会議を開いて、もはやこれまで、のん太は元来、野犬だったのだから山に帰そうということになり、かわいそうだったが兄が車に乗せて一山も二山も超えて遠くの山の中に解放してやった。家族全員、辛い想いであった。しかしである。それから1週間、どこをどう歩いたか、また保養所にのん太が帰ってきたのである。
こういう話はテレビで時々見るが、犬の能力というものは人間をはるかに越えたものがある。2回目の家族会議の結果、今治で歯医者をしている兄の所で飼うことになった。それから5年。兄の所へ行くたびに「おい、のん太元気か」と会話していた。
そののん太が、5月4日から物を食べなくなり、5月5日に亡くなった。18才の大往生であった。Tさんに連絡した所大泣きになった。今は3年前に亡くなった親父の所へ直行したのではないかと考えている。動物も飼うときはかわいいのだが、この死別だけはたまらない。色々な想い出をありがとう。のん太。
(写真は当時、小学生の娘や息子達です。)

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— posted by 越智邦明 at 10:08 am  

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