5月30日、義母の四十九日の法要を行った。
7日を一つの単位として7回お裁きと教えを受ける長い旅。最後にえんま様によって生前の行いを裁かれると昔習いました。この判決が終わって故人の魂は仏様の世界にたどり着きます。
きっと義母は極楽浄土へ往生できたと確信しています。納骨をして24年ぶりに後藤田先生と一緒になれたんだな、と感極まりました。あの世で二人仲良く暮らすことでしょう。「よう来たな」と。
当日は東京の家内の弟夫婦や宇和島の娘夫婦もそろって久しぶりに談笑することが出来ました。
東京の長男は4月より外科医としてハードな毎日を過ごしています。5月になって急患で来た、胃穿孔や壊疽性虫垂炎の手術をさせてもらったと喜んでいました。やはり外科医は手術をやってなんぼ、の世界ですから、執刀医になれるのは大変だけれども生き甲斐になります。30年前の自分とだぶって見えました。それにしても法要の間、何回も彼の携帯が鳴ったのには閉口しました。今の病院が「完全主治医制」とやらで、受持ちの入院患者の指示を主治医である彼に仰ぐため、いちいち連絡があるそうです。なかには「便が出ないのでどうしましょう?」などもあったようで、こんな時ぐらい、他のDr.に頼めないのかなあ、と少しかわいそうになりました。さて長男のつぶやいた一言に大変驚きました。それは、手術前の手洗いは「たわし」で2回洗浄しているのか3回洗浄しているのかと尋ねた所、彼は「もう、たわしは使わなくなったよ。手で洗ってるだけだよ」と。驚く私に追い討ちをかけるように、娘婿が「そうなんですよ、おとうさん。産婦人科の手洗いでも、たわしは使わなくなったんですよ」と。「えっ。」しばらく言葉に詰まった。
こんな風にして医療も進化していくんだな。今まで消毒、消毒ときびしく教えられた外科学は何だったんだろう。「たわしは皮膚を傷つけてかえって有害なんだ」とも長男は言った。「老兵去るべし」という言葉が私の脳裏をかけめぐった。
しかし、その嫌な感覚も孫のゆうちゃんの笑顔で吹き飛んだ。「ゆうちゃん、まだまだじいちゃんは頑張るからね。」