そこで私が音頭を取り、5月31日(日)に米寿のお祝いを行った。最初は嫌がっていた母親だったが、「子供達だけでなら」と小宴を行うことで納得した。子供は兄と私、妹の3人であるが孫や、ひ孫を含めて総勢23名となった。場所は「ふなや」で行った。父親は平成19年1月11日に83才で亡くなって米寿をしてやれなかった。人生には還暦(60才)、米寿(88才)、卒寿(90才)、白寿(99才)等、色々なお祝い事があるが、平均寿命を考えていくと、やはり米寿は実現性とその価値が一番マッチして嬉しい気がする。特に女性の平均寿命が伸び、世界でも一、二を争う日本の長寿社会。「認知のない」長寿を患者さんはみんな切望して日々、診察に通って来ている。
さて米寿の「米」は八十八から出来ていることから米寿となり「米の祝い」とも言われます。黄頭布、黄色のちゃんちゃんこを着させて、これからも元気で過ごせることを願ってのお祝いです。黄は天の太陽、地にあっては沃土、黄金を象徴して自然の恵みの色です。
さて会は司会を私が務めました。兄貴のあいさつに続いて母親のあいさつ。3枚の便箋にしたためた子育ての想いを時間をかけて朗読してくれた。
子供も孫もひ孫も真剣に聞き入った。
続いて私の長男、友洋君の乾杯の音頭。その前に彼からサプライズプレゼントの披露。「おちちかえ」の頭文字を取った詩が画面一杯に描かれた素敵な額であった。次に事務長石山君からのお花のプレゼントの贈呈を娘、万季が行った。乾杯のあと楽しい食事会が始まった。宴もたけなわになって、各自1分のスピーチを行った。みんな今までの人生を振り返り、ばあちゃんへの感謝の想いを述べ、母親はそのたびに涙ぐんだ。宴も進んだある時、会場が真っ暗になってサプライズのケーキプレゼント。と同時に母親には、ちゃんちゃんこが着せられ、みんなを囲んで写真撮影となった。子供達による「ハッピーバースディー」の唄も楽しかった。
宴の2時間もあっという間に終わり、最後は藤井進午君の万歳三唱で幕を閉じた。
母親にとっても、とても感慨深い記念になった米寿の会でした。
ますますの長寿を期待しています。