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2013/12/16

酒場の文化史


海野弘著の「酒場の文化史」(講談社)を読んでみた。
酒は紀元前1万年には初めは蜜、次に果物の発酵したもので造られていたとまず書かれる。やがて狩猟文化になり、紀元前8000~9000年には犬や羊が家畜化したが、まだ住居は洞窟で夜はここでたき火し肉を焼き酒を飲んだ。我々が狭くてすっぽりと包みこまれるような酒場を好むのも、その原形が洞窟であったせいかも知れないと思う。やがて共同体が成立して文化が誕生すると、ペルシャ人は重要な事柄は酒を飲みながら相談する習慣ができた。主人はそのとき皆が賛成したことを翌日、しらふのときにもはかり賛成なら採用、そうでなければ廃案。逆にしらふの時の案は酒の席でもう1度見直した。これなどは現代でも有効な知恵である。
イギリスでは酒場と宿屋はセットで発達し、その度合いによりイン、タバン、エイルハウスと名がつく。18世紀にはパブリックハウスと呼ばれる中流階級のための酒場が姿を現した。〈パブ〉即ち〈公共のための場所〉で、そこはニュースの集積所であり催しの会場であり職業紹介所であり裁判の場所でもあった。条件はパブリックルーム(広間)があること。バーはそこで酒を売る台のことで、カウンターバーはこれが起源。更に、パブをパブリックとプライベートに仕切り、後者が会員制の紳士クラブとなった。高級なサルーン・バーは互いのおしゃれや社交を鏡に映して楽しむ場となり、それが鏡張りインテリアの起源である。フランスでは外に出て街を楽しむカフェ・バーとなる。等々楽しく読みました。何だか今夜は薄暗がりのバーで一杯やりたくなりました。

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(追伸)
12月12日の「下仁田ネギ」を見てくれていた薬品会社のH君から13日、「先生、ネギが手に入りました」と早速いただいたのにはビックリ。H君もブログを読んでいなかったら、どこのネギか分らなかったと。不思議な縁ですね。H君、ありがとう。

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— posted by 越智邦明 at 03:13 pm  

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