白菊会は各大学の医学部などに事務局がある篤志献体協会に属する組織である。「自分の死後、遺体を医学・歯学の教育と研究のために役立てたい」と志した人が生前から献体したい大学に名前を登録しておき亡くなられた時、遺体を大学に提供するのである。現在その登録者数は20万人を超えている。当院にも数名存在する。私も学生時代解剖をさせていただいたおかげで、現在の解剖知識が頭にたたきこまれている。感謝のひと言である。
さて解剖は明和8年、杉田玄白らが「ターヘル・アナトミア」を携えて腑分けを観察したのだが、それ以後、明治に入っても解剖の重要性は認識はされていたものの解剖の機会は得られなかった。解剖第一号は遊女である美幾女(みき)であった。明治2年であった。当時、医学校は死を目前にしたみきに、「厚く弔うから」と説得した。遊女は死ぬと投込寺の穴に遺棄されるのが習いであって、その霊はむなしくさ迷うと言われていた。医師は解剖後、丁重に葬儀をとりおこない戒名もつけて墓を建ててやると説き、ついに、みきは医師の説得を受け容れたのである。
美幾女の話は渡辺淳一の「白き旅立ち」にも見事に物語れている。「解剖」にもこんな歴史があったのである。