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越智クリニック
 
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2012/11/29

職員の結婚


職員のイケメン(?)看護師、中西純平君24才が11月25日(日)、結婚式を挙げた。当日は晴れ男らしく、すばらしい晴天であった。西条出身でもう当院に就職して3年になる。
結婚式場のチャペルは松山城がくっきり見え、すばらしくまた荘厳な雰囲気の中で結婚宣言が行われた。その後、鐘を鳴らす2人は幸せそのものであった。
スピーチで私が話したことは「御両親がつけた純平という名前は本当に素晴らしい。純粋で平らな、デコボコがない立派な青年に育ったと思います。しかしまだまだ未熟な所もあり、医学の進歩について行くには相当な勉強を継続しなければならないこと、そのためには奥さんの支えが必要である」と。最後にヘルマン・ヘッセの言葉で「夫婦はお互いに見つめあう存在ではなく一つの星を二人で眺めるものである」を紹介して締めくくった。
次に愚妻がお琴を演奏した。曲は「祭りの太鼓」。宮城道雄が伊勢神宮から依頼されて作曲した曲で、お祝いの席にふさわしい曲であった。
その後、当院職員が熱のこもった余興を行い、大いに盛り上がった。手製の旗(下写真)も皆さんに振ってもらった。
宴も終わりとなり、中西君の父君の話に胸を打たれた。純平は3兄弟の長男ですが、幼少の頃より3人におやつをやると、下の2人におまえら食べろと食べさせるやさしい子であった。ある時、下の2人がおやつを全部食べてしまって、父親に泣きついたことがあったことを披露。やはり、素直ないい子だったんだなと感心した。
越智クリニックのためにも地域医療のためにも益々の発展を期待する中西純平君でした。おめでとう。

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— posted by 越智邦明 at 05:30 pm  

2012/11/26

50℃洗い


文芸春秋の中で平山一政さんの「50℃洗いー人も野菜も若返る」という本の中味を紹介します。
野菜を洗うには水を使うのが常識だが、本書では風呂よりも熱い50℃の湯で洗うことを勧めている。
細かいチリなどがよく落ちること、腐敗菌はじめ多くの細菌が死滅することなどの理由があるが、それだけではない。野菜が持つ酵素の働きが活性化される温度が50℃で、栄養素を損失させることなくよりおいしく食べられると言う。
ボウルに湯をためて野菜をゆっくり沈め20秒置いてからすすぐように洗うだけ。ザルにあげてしばらくすると茎や葉がピーンと張って鮮度がよみがえるのが見て取れると言います。
これは果物にも応用でき、甘味も増し日持ちも良くなるそうです。
試してみて下さい。

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— posted by 越智邦明 at 06:15 pm  

2012/11/22

高齢者のやせ


よく「高齢者はやせている方が長生きするのでは?」といった風評を耳にすることがある。はたして「やせ」は長生きの要因なのか?
今回、東京都健康長寿医療センターの新開省二先生の論文から、その現状と回答を記したい。
新開先生は長期追跡研究の指標として、体格指数(BMI)、血清アルブミン、総コレステロール、血中ヘモグロビンの4項目を使った。BMIはエネルギーバランス、アルブミンは蛋白質、総コレステロールは脂質、ヘモグロビンは鉄・蛋白質の摂取と関連が深い指標である。
結論であるが、下の表のように低栄養の人は余命が短いことが分かった。がんや心血管病において、特に心血管病においては高栄養群の死亡率が5.1%であったのに対し、低栄養群のそれは12.9%と差が大きかった。栄養状態が悪いことは余命を短くするが、その主な原因は心血管病による死亡が増えることにあるとも言い換えることができる。
最近のマスコミ報道では「粗食」「少食」が、あたかも長寿につながるような論調のものが多いが、高齢者の栄養代謝の特徴を踏まえると、一般高齢者が粗食やカロリー制限に励むと低栄養になることは目に見えている。平均的な高齢者にとって、粗食やカロリー制限は「百害あって一利なし」と結んでありました。

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— posted by 越智邦明 at 04:42 pm  

2012/11/19

早期閉経


米医学専門誌「メノポーズ(閉経)」10月号によると白人、黒人、中国人、スペイン系の女性693人を追跡調査した。スタート時の年令は45~85才であった。46才以下で閉経した女性と、高齢で閉経した女性を比較検討した所、心臓病や脳卒中を発症するリスクが高齢者グループに比べて若いグループは2倍近く高いことがわかった。
米バンダービルド大学のウェロンズ(内分泌学)准教授は「早期の閉経が早期の脳卒中や心臓病の発症に関わっていることは間違いない。早期に閉経した人は、運動や食事の改善を心掛けて血圧やコレステロールなどを正常化することが大切」と話している。
是非、参考にして下さい。

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— posted by 越智邦明 at 06:12 pm  

2012/11/15

ゆうちゃんと宿泊


ゆうちゃんが10月18日に3才になったお祝いをしてやろうと、去年に続いて道後の旅館に11月10日(土)宿泊した。
翌日11月11日は娘夫婦の結婚5周年の日でもあった。
夕方5時に投宿し風呂の前に道後散策をした。今回は、サプライズでいっくんに会うのが目玉であった。いっくんはママが道後出身なのでちょうど里帰りしていたため、商店街で会うことができた。会った瞬間、ゆうちゃんはパパの手を離れいっくんの元へ一直線。二人は固く手を握り合った。まるで映画のシーンである。私の幼少時代は、どんなに好きな女の子でも人前で手を握り合うなんか考えられなかった。時代は変わったのか!?
その後旅館に帰り、ゆうちゃんの大好きな温泉に入った。相変らず「気持ちいい」の連発であった。風呂から出たあとは、ゆうちゃんが選んだ黄色の浴衣を着て夕食が始まった。似合っていた。幼稚園の話など色々教えてくれた。10時になって解散となり「ゆうちゃん、じいじと寝ようよ」と水を向けたが「パパがいい」の一言でおわりであった。翌朝は皆それぞれ用があり、朝食後早々と散会した。
又来いよ、ゆうちゃん。

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— posted by 越智邦明 at 04:48 pm  

2012/11/12

快眠


快眠を得るのは明日への活力を養うためにもとても大事な事です。
一般的に「運動をするとぐっすり眠れる」と言われています。さて運動と睡眠の関係を調べた研究によっても、日常的に運動している人は運動習慣の全くない人に比べて深い眠りのノンレム睡眠が多く表れます。実際、運動しない人に運動を習慣づけると、入眠時間の短縮や深い睡眠の増加が見られます。
さて運動はいつ行ってもいいかというと、それが実は問題です。21時以降に激しい運動をしてしまうと体温が上がって寝付けなくなってしまいます。特に筋トレやエアロビクスのような激しい運動は、交感神経が優位になり興奮して余計に眠れなくなります。
結論として「中」程度の有酸素運動を20~30分間、体温が最も高くなる18~20時に行うというのが理想です。人間の体は21時頃、眠りの準備に入るため体温が下がり始めます。その前に運動をして体温を一気に上昇させることで運動しないときよりも倍近く温度が下がるように感じます。人は体温が下がると眠くなるのです。また、適度な疲労感が深い眠りを導き出し、翌日の元気な体づくりをサポートしてくれます。「夕方運動習慣」を是非身に着けて下さい。

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(追伸)
10月18日で3才になった、ゆうちゃん。
11月より幼稚園も泣かずに行っているようで成長の証です。
何枚かお届けします。かけっこは早いのでしょうか?ぽぽちゃんを毎日お世話しているようです。

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— posted by 越智邦明 at 05:40 pm  

2012/11/8

ロコモ


「メタボ」という言葉は広く国民に周知されました。
今、厚労省が次に「ロコモ」という言葉を広めようとしています。いま「ロコモ」の認知度は17%と低く、来年度からは10年間で8割まで高める目標を掲げている。
さて「ロコモ」はロコモティブシンドロームの略語です。日本整形外科学会が07年から提唱していますが、骨、筋肉、関節といった運動器の衰えや障害によって要介護や寝たきりになるリスクが高い状態を指します。
要介護の原因は脳卒中が最多ですが、次に多いのがロコモです。ロコモには3つの大きな原因があります。①筋力の低下②バランス能力の低下③骨や関節の病気(変形性関節症、骨粗鬆症、脊柱管狭窄症など)。
我々中年もロコモにならないように脚の筋力を鍛えたいものです。例えば閉眼片脚立ちが1分以上キープ出来なければロコモです。
太ももやお尻の大きな筋肉は衰えやすく、散歩やウォーキングだけでは加齢に勝てません。速足歩きやスクワットも大事です。
メタボにもロコモにも気をつけたいものです。
尚、Locomotiv(ロコモティブ)は「運動の」の意味で、機関車という意味もあります。

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(追伸)
11月3日、東京出張であったが、どうしても東京タワーを見たくなって以前にも泊ったザプリンスパークタワー東京に宿泊した。まだ陽が落ちない時間に投宿できたので東京タワーの昼、夕、夜の顔を撮ることが出きた。真下には芝の増上寺。もう周りは紅葉がきれいであった。右に角度を振るとスカイツリーも見ることが出きたので、こちらも昼、夜の顔を撮った。
最後にラウンジで飲んだオリジナルの「東京タワーカクテル」もおいしかったです。

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— posted by 越智邦明 at 04:09 pm  

2012/11/5

アッペ


アッペ(Appendix)とは虫垂のことで、虫垂炎で読者の皆さんの中には点滴や手術のお世話になった方も多いと思う。
我が家族では今や外科医となっている長男が小6の春休みに虫垂炎となり私が執刀した。
さてアッペの歴史をひもといてみた。
医学の歴史の中で、アッペが意識されたのはほかの臓器に比べてずっと遅く、1500年頃のレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図譜が最初である。1812年には“パーキンソン病”に名前を残しているジェームズ・パーキンソンが腹膜穿孔の病理報告をしている。だが治療となると、19世紀末までは大量のアヘン投与や制吐剤であった。アッペを切除するには手術操作だけでなく消毒や無菌操作が必要である。つまりそれまでの手術は成功しても術後敗血症で多くが亡くなった。
1887年アメリカでジョージ・モートンが虫垂切除を成功させた。エーテル麻酔を初めて行ったウィリアム・モートンの息子であり自分の兄弟や次男を虫垂炎で失っていた。翌年にはロンドンの外科医、トレヴィス(35才)も成功している。彼も娘を虫垂炎で亡くしていた。
日本では角界の玉の海の師匠の師匠であった玉錦が1938年、九州巡業中にアッペになり開腹術を受けたが腹腔内は膿だらけで抗生物質のない時代でもありなす術がなかったと記録にある。
イギリスで有名なアッペの手術は何といってもエドワード7世。ヴィクトリア女王の後を継いでの載冠式が1902年6月26日に予定されていた。しかしエドワードは記録を読むと6月13日、気分が優れなくなり顔色は蒼白となった。翌14日朝、腹痛と吐き気があった。15日は悪寒と高熱に襲われ18日侍医がアッペを疑い、先程のアッペの大家:トレヴィスを招請した。トレヴィスは盲腸周囲炎と診断したが、21日にはいったん平熱となり腫れが引いた。自然治癒したかに見えたが23日、再び腹痛がひどく終に、トレヴィスはオペをエドワードに進言する。しかしエドワードはどうしても戴冠式に出るのだと言って拒否した。そこでトレヴィスは、すかさず“スペードのエース”を切った。「ならば陛下、陛下は骸(むくろ)になっていくことになります」と。一瞬にして国王は言葉を失い手術に同意した。手術は成功し、その後、エドワード7世は大英帝国最盛期に君臨し“ピースメーカー”と謳われ又、“Uncle of Europe”とも呼ばれた。
トレヴィスは、数々の名誉に包まれ虫垂炎の外科手術もこれを許に広く普及した。もし国王が開腹に同意しなかったり、開腹時に手遅れで不幸な転帰をとったら歴史も変わっていただろう。皆さんは、盲腸の手術は外科医のひよこがやる簡単な手術と思われるかも知れませんが、炎症の程度でさまざまな姿を見せるアッペ。何年外科医をやっても恐いのがアッペで、外科医の世界では「オペはアッペに始まってアッペに終わる」や「たかがアッペ、されどアッペ」と広く伝えられています。ちなみに私が外科医になった昭和50年台はアッペは多く、手術件数も年間50~100例こなしましたが、抗生物質を頻繁に投与される現在、極端に減って年間20例以下と激減しています。しかし皆無ではないので尚、注意が必要な疾患です。

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— posted by 越智邦明 at 05:37 pm  

2012/11/1

60周年


10月27日(土)全日空ホテルにて、愛光学園60周年記念パーティーが行われた。500人集まった。愛光学園1期生は私の生まれた昭和28年に入学している。卒業生も12,500人に達している。進路は統計してみると、医系・理系・文系それぞれ3等分になっているとの事。全国の医師数が約30万人なので、100人に1人は愛光卒となるそうである。司会進行は、24期の渡部剛士君(南海放送アナウンサー)が行った。
講演では8期の宮田秀明氏(東大名誉教授)、10期の白石隆氏(政策研究大学院大学学長)、13期の越智光夫氏(広島大学整形外科教授)によって行われたが、白石氏・越智氏は私の過ごした愛光寮の先輩である。特に、越智光夫さんは私の一期先輩で、寮時代に特に面倒をよくみてくれたが講演の中で「今の自分があるのは愛光学園のおかげであり、原点は愛光寮にある」と言い切っていた。
中村校長先生から「今、愛光はchange(変革)とchallenge(挑戦)を行っている。皆さんも永遠にchangeとchallengeの精神を忘れないように」との訓示があった。そして建学の精神である「われらの信条」の中の一節、「世界に愛と光を増し加えんこと」を、いつもながら強調された。
最後、講演をすませた三人の講師を壇上にあげ、司会の渡部君から三人に同じ質問が行われた。それは「今後、愛光OBの中からノーベル賞受賞者が出ると思いますか?」。これに対しては皆さん苦笑しながらも「大いに可能性あり。今後、世界のグローバル化の中へ身を置く勇気も必要である。学園自体もそういう教育をしていかなければならない」と、中村校長へアドバイスを送っておられた。
地域医療に「愛と光」がはたして実践されているのか私はもう1度、原点に返ってがんばりたいと思う。

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— posted by 越智邦明 at 08:54 am  

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